
執筆者:CTO 宮地 敬史
皆さん、こんにちは!
CxOリレーblog第6弾ということで、CTO宮地が担当いたします。
CTO(最高技術責任者)という役割の定義を今更ながら、ChatGPTに聞いてみたところ、下記のようなものでした。
CTO(最高技術責任者)の定義
CTO(Chief Technology Officer)とは、企業における技術戦略の最高責任者であり、テクノロジーに関する意思決定を統括する経営層(CxO)の一員です。日本語では「最高技術責任者」と訳されます。
弊社では事業の柱の一つである、データベース/データコンサルティング部門に関する技術戦略の策定、組織マネジメント等を通したコンサルティングサービスの技術競争力、市場優位性の確立、を役割としています。この辺りについては、別の回で触れたいと考えています。
今回は私がどのようなエンジニアなのか、これまでの経歴を交えて紹介させていただこうと考えていますので、最後までお付き合いいただければと思います。
私の社会人としてのキャリアは、IT業界ではなく、塾講師から始まりました。お世話になったのは、中学/高校受験向けに東京、千葉、埼玉に10以上の教室を展開する準大手の塾となります。
きっかけは大学3年時に友人に誘われた、というありきたりなものでした。
気軽に応募し、採用試験を経て採用されたのですが、現場に出るまでには研修所での3カ月間の研修がありました。実はこの研修で、今の自分のスタイルの50%が確立されたといっても過言ではない、とても良い経験をさせてもらいました。
(時代が時代だったことと、研修であっても給料は支払われていたので、準備不足や前回指摘されたことが治っていなかったりした場合に研修講師の方から怒鳴られたり、ペンやチョークを投げつけられることは普通にありました。いい意味(笑)での緊張感満載で必死で研修についていきました)
“人からフィードバックをもらっているのにメモを取らないのはあり得ない”といったマインドセット(社会人としては当然かもしれませんが)の部分から、”具体から抽象へ”、”抽象から具体へ”という説明の手法や、25人程度を相手に授業をする際の視線の配り方、説明の仕方、といった点については今でも非常に役に立っており、塾講師をやっていてよかった、と感じています。
特に、大勢の方の前でプレゼンを行う際にあまり緊張せずに話ができている(と本人は思っている)ことと、ライブ感を大事にすること、Webinerの収録時の一発勝負時に強い(と本人は思っている)という点は、塾講師の経験の賜物と感じています。
この時代に『人にものを教えて成長の手助けをする』ことの難しさと醍醐味を味わえたことは、マネジメントの役割をしている現在の土台となっています。
学校の先生よりも塾の先生の方が信頼されている(これはある意味カルチャーギャップでした)、接した分だけ生徒さんからの信頼も増え、やる気や成長が見られる、授業は常にライブで全く同じシチュエーションはない、というところにとてもやりがいを感じ、4年間(25歳まで)塾講師をしていたのですが、今後、少子化により塾業界も厳しくなりそうと考え、1998年に転職活動を始めました。
とはいえ、未経験で25歳が飛び込める業界はあまりないなか、当時ITバブル全盛期だったIT業界は、25歳でも未経験大歓迎でした。加えて今後伸びそうな業界かつとても面白いことができそう、ということでIT業界に転職することにしました。
業務アプリ開発者として最初に採用してもらった会社では、COBOLを使用した金融系向けの業務アプリケーション設計、開発を担当しました。
(そのため、実は今でもCOBOLプログラムとJCLは読めたりします(笑))
最初に担当させてもらったのは、2000年問題対応。
今では信じられないのですが、多くのシステムでは、メモリやストレージの節約のために1998年⇒98、1999年⇒99、といったように西暦を下2桁で管理していました。
そのため、2000年⇒00となり、プログラムが1900年と誤認識する可能性があり、結果、金利計算が異常値になったり、年齢計算がマイナスになったり、契約期限が過去扱いになったり、と銀行、航空業界、電力等社会インフラへの影響が懸念されたのです。
何故西暦を2桁で持たせていたかというと。。。
当時はメモリ、ストレージの価格がとんでもなく高く、メモリ1MBで基幹システム用のものだと数十万円していました。数百MBのメモリを積むだけで数千万円規模になる世界だったため、日付を2桁にするだけで、数十MB(数百万円)の節約となっていたのです。
当然、データを保管するストレージもあるので、システムによっては数千万のコストメリットはあったと思います。つまり、ハードウェアコストという制約の中での1980年代後半から1990年台初頭当時の開発者の苦心の実装だったというわけです。
日付データの西暦部分を2桁⇒4桁に変更、計算ロジックの部分の修正、テスト、といったことを実施したのですが、初心者にはとても分かりやすい対応内容でした。また多くの設計書、テスト仕様書、コードに触れることができ、色々なことを吸収できました。
そこから凡そ2年間、色々な大手金融機関様向けにメインフレーム上で動作するCOBOLアプリケーション開発に従事していたのですが、新規開発よりも新制度、法律変更への対応(改修)が殆どでした。
当時は客先常駐で仕事をしており、月1回の帰社時、同年代の社員と何をしているのかの情報交換をしていました。そのなかで、プログラマーとしては既存プログラムの改修よりも新規開発、COBOLよりC言語やJavaを使った開発の方が最先端を走っておりキラキラしているように感じるようになってきました。
(隣の芝は青く見えていたのでしょうね。今考えてみると浅はかといえば浅はかです)
どうする俺!?
まだまだ続くのですが、1回分では収まりそうにないので、次回に続きます。(経歴紹介は次回で終えます・・・)
それではまた次回!
