神は細部に宿る ―― 「速度」という名のプロダクトの魂

執筆者:CDO 髙𫞎 則行
はじめに
前回の寄稿では、不確実な時代において「小さく産んで大きく育てる」ことの重要性をお伝えしました。今回は、その「小さく産む」プロダクトに、私がエンジニアとして、そして経営者として必ず込めるべきだと考えている「魂」についてお話しします。
それは、「高速処理への異常なまでのこだわり」です。
原体験:フレーム単位の職人芸への憧れ
思えば、私のものづくりの原点は、かつての日本のお家芸ともいえた「ゲーム開発」の職人芸にあります。
限られたメモリ、非力なCPU。そんなチープなハードウェアの上で、画面描画の1フレーム単位(1/60秒)を削り出し、見事な最適化によって驚くような演出を実現する。その「制約の中での美学」に、私は「神は細部に宿る」というエンジニアリングの真骨頂を見ました。
今でも私は、誰も解けないパフォーマンスの難題に直面すると、血が騒ぎます。それはもはや趣味に近い領域かもしれませんが、この「細部へのこだわり」こそが、ビジネスを左右する大きな力になると信じています。
「10倍速」が市場の定説を覆す
かつてWebフィルタリング製品を手掛けていた際の話です。当時、「フィルタリングを入れるとネットが遅くなる」のは業界の常識でした。
私はマーケ担当から製品のウリが乏しいという嘆きを聞く中、メインの開発担当者が不在だった夏休みの間、ある「賭け」に出ました。担当が夏休み明けに戻ってきたら高速に動いていて驚いたら良いな、といういたずら心からでしたが、次第に開発魂に火が付いてしまいました。プロダクトのウリを明確にするため、全リソースを高速化に振ってしまったのです。
- マッチング処理の徹底したオンメモリ化
- ネットワーク遅延を隠蔽する並列化
- パケット転送の最適化
結果、処理速度は10倍になりました。ブラウジング速度を落とさないどころかキャッシュ効果で以前より速く感じる。この「圧倒的な速度」は競合他社との決定的な差別化要因となり、販売実績は爆発的に伸びました。速度は単なるスペックではなく、最高の「顧客体験」だったのです。
「車輪の再発明」を「革新」に変える分岐点
メールアーカイブと検索システムの開発でも、同様の壁がありました。既存のDBより少し速い程度のエンジンでは、独自開発する意味がありません。それは単なる「時代のあだ花」であり、無駄な工数です。
そこで私は、データのライフサイクルに合わせた階層的な設計を導入しました。
- 直近データはインメモリのKVSで超高速処理
- 全文検索はCPUキャッシュヒット率を極限まで高めた配列型ngram
- 古いデータは圧縮インデックスとしてディスク管理
これにより、ストア速度は数十倍、2TBのデータから1〜2秒で検索できる性能を実現しました。現在、個人的な研究ではSIMD(単一命令複数データ処理)などを活用し、0.05秒未満で検索できる域にまで達しています。
インサイトテクノロジーでの挑戦:LLM時代の高速化
現在、インサイトテクノロジーにおいても、この「速度哲学」を注ぎ込んでいます。
例えば、LLMを活用したフリーテキストマスキングです。商用のフロントサービスに組み込む場合、マスキングの遅延はそのまま画面のフリーズに直結します。
私たちは開発当初から、LLMの並列・複数インスタンス動作を前提とし、トライ木を用いた辞書検索や高速正規表現エンジンを組み合わせることで、エンタープライズ基準の応答性を実現しました。この「異常なまでのこだわり」があったからこそ、シビアな性能を求めるお客様に選んでいただけたと自負しています。また、処理が速いことは、高価なGPUリソースを最小限に抑えるという、お客様のコストメリットにも直結しています。
「職人の目」と「鷹の目」
もちろん、ただ速ければ良いわけではありません。 闇雲な高速化はコードを複雑にし、保守性を下げ、変化への適応力を奪います。だからこそ、CxOには二つの視点が必要です。
- 職人の目: どの処理が長期的にクリティカルになるか、どうやったら桁が変わる高速化ができるのかを見極め、細部に神を宿らせる。
- 鷹の目: ハードウェアコスト、ビジネス的な投資対効果、そして将来の拡張性。これらを俯瞰し、ビジネスとしての「最適解」を導き出す。
「速くて困ることはない」――これが私の持論です。 これからも、この速度への執着を武器に、お客様がストレスなく、新しい価値を創造できる土台を作り続けていきたいと考えています。
AI時代だからこそ、人間が宿らせる「狂気」
昨今、AIを用いたコーディングが主流になりつつあります。しかし、ここまでお話ししたような高速化を考慮した緻密な設計やコーディングは、現時点のAIエージェントが自動的に、かつ満足のいくレベルで行ってくれるものではありません。
「動くもの」はAIが圧倒的な生産性で作ってくれる時代だからこそ、その先の「極限のパフォーマンス」を追求する人間の「偏愛」が、プロダクトの決定的な差になります。私はまだしばらく、この偏愛を楽しみながら、AIによる生産性向上を武器に、さらなる高速化にこだわっていきたいと考えています。
結びに
皆さんも、ぜひ自分自身の「狂気」や「偏愛」を武器に、仕事、そしてプロダクトに魂を吹き込んでみてください。そのこだわりが、きっと世界をあっと驚かせる価値に変わるはずです。
