父の墓参りから考える:仏教の「空」とは?

お盆でお墓参りをした方も多いと思いますが、父の墓参りで思い出したことについて書きたいと思います。

皆さんは、仏教における「空」(くう)という概念をご存じでしょうか?
私の父は10年前に亡くなりましたが、父は生前自分で墓を建立して、自らデザインもしました。墓石に刻む文字も石屋さんのデザインが気に食わなかったようで私も何度も打ち合わせに付き合わされたのですが、結局自分で書いて掘ってもらうということになりました。本当に人の言うことを聞かない性格だったので、大変でした。(父自身も人の言うことは聞きたくないわがままな性格だと言っていました。)

当然、「森田」の文字は入るのですが、父は、墓石に大きな「空」という文字を書き入れました。
完成後に私に「空」の意味を説明してくれたことを良く覚えています。
「そら(空)」ではなく「くう(空)」は、仏教における非常に深い概念で、説明も難しいものですが、私の父曰く、「隣の人を羨ましく思って自分の考えや行動を変えることは良くないことだ」というようなことを言っていたように思います。調べてみると、「空」は全ての存在が固有の自己性を持っていないという理念を指します。つまり、私たちやすべての物事が単独で独立した実体であるという考え方は幻想であり、本質的には何ものもが相互に依存し、関連しあって存在しているという考え方だそうです。

やはりわかりにくいので「空」の具体的な例をChatGPTで調べてみました。

雲の例:
ある日、空には雲が浮かんでいますが、次の日にはその雲は消えてしまいます。雲は一時的な存在であり、永遠に変わらないものではありません。このように、すべての物事は一時的であり、永続的な存在ではないことを「空」と言います。

川の例:
川の水は常に流れており、一瞬一瞬でその姿を変えています。同じ水が二度と流れることはありません。このように、物事は常に変化しており、固定されたものではないことを示しています。

車の例:
車はタイヤ、エンジン、フレームなどの部品から成り立っています。これらの部品が一つ一つ集まって「車」というものが成り立っています。しかし、部品を一つ一つ取り除いていくと、最終的に「車」というものは存在しなくなります。このように、物事は部分の集まりであり、それ自体が独立して存在するものではないことを示しています。

このように、「空」とは、物事が永遠に不変であるという幻想を打破し、すべてのものが相互依存し、一時的で変わりやすいものであることを指しているそうです。

父は、「物事が相互に関係を持って存在できているので、執着しないことで真の自己に気づくことができる」ということを伝えたかったのではないかと思います。
なかなか難しい概念です。

まだまだ、私はそこまで悟りを開くことはできていませんが、もっと経験を積み、この深い概念を理解し、父に近づきたいと思うようになりました。

私の父が自ら書いた「空」の文字

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