森田流、「プロフェッショナル」とは

今回はプロフェッショナルとして仕事をする意識について、私の20代の経験をお話しします。
私は、20代に日立製作所に勤めておりました。半導体の製造を行う工場に勤務し、半導体の組み立て工程に携わっていました。私が担当していた工程について、日立アメリカで現地のエンジニアとミーティングを行うことになり、初めてシリコンバレーへ出張しました。
当地では、英語に苦しみながらミーティングを進めていました。ある日、ミーティングのために資料をコピーしていたとき、女性が怒ったような表情で突然近づいてきて、英語でまくし立てられました。英語は不得意な私でしたが
「なぜあなたがコピーをしているのか?」
と言っていることがわかりました。「いやこれくらいは、自分でやります。(英語)」
と言いましたが、どうやら、
「なぜあなたは、私の仕事を取るのか?」
と怒っているようです。
日本では、凄く急いでいるときに、庶務担当の社員(私より先輩)へコピーを頼んでも、
「それくらい自分でやって。」
とコーヒーを飲みながら言われたことが何度もありました。

現地のエンジニアにこの話をすると、「君が彼女の仕事をやってしまうと、彼女の評価は下がるんだよ」と言われました。どうやら毎年、給与の査定が厳しく行われており、上司に希望の年収を伝えて上がったり下がったりが普通に行われるとのことでした。当時の私の感覚では、給料が下がるなんて考えられなかったので、非常に驚きました。日本で若いエンジニアがコピーで忙しくしていても、担当者は見て見ぬふりをしているのが普通でした。
驚きました。コピー作業であっても自分の担当作業を取られるのは大きな問題なのです。

夜、現地のエンジニアと話しをしていると
「お前の年収はいくらだ?」
と聞かれ、あれ?と思い、自分の月収(毎月の給料)は何となくわかるけど、年間だといくらか答えられませんでした。
「自分の年収くらいは把握しないと駄目だよ。ここで働いたら年収でxxドルくらいだよ。」
とアドバイスしてくれました。そのエンジニアの人は、前職は、TIMEX(アメリカに本拠を置くほぼ唯一の時計メーカーで、大統領や著名人にも愛用者がいます)という会社で副社長!をしていて、今の半導体業界に転職したとのことでした。これにも驚きました。
どうして大きな会社の副社長までしていた人が、全く経験のない業界に転職するのだろうか。彼は、半導体の勉強は大変だったと言っていましたが、「自分は、興味のある分野に挑戦しながら自分の価値を上げていくのだ。」と・・・。
なんと格好いいんだ!

「自分の価値を常に考え、挑戦して高めていく」
アメリカ人みんながこのような考えではないと思いますが、凄く刺激をもらって帰国しました。
出張から帰ってからは、自分の仕事は?自分の価値は?と考えるようになりました。
初のシリコンバレー出張から1年後、私は日立製作所を退職し、日立でプログラム(メインフレームのFortran)を教えてくれた人が立ち上げた、従業員数3名の会社へ転職しました。グループ全体で従業員数30万人の会社から3人の会社への転職でした。
転職のきっかけになったのが、このシリコンバレーへの出張での出来事で、自分の仕事、価値を将来的に高めていけるのかを考えたことが決め手になりました。
転職後は、10万分の1のサイズの会社になったこともあり、自分の仕事、価値がダイレクトに感じられるようになりました。しかし、良いことばかりではありません。
この転職については、別途お話しできればと思います。

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